就活575

就活、キャリアに関して妹や後輩に聞かれたことに対して正直に答えてきたことを心の川柳として物します。

"当たり前" 誰がそれを 作ったの?



"当たり前"を"当たり前"と思うな。それは誰かの仕事だ。








学歴フィルターがやり玉に挙げられるのは、"学歴と仕事における能力が必ずしもイコールではない"とか、"仕事で真に必要なのは人柄だ"のような意見が少なからずあるからだと思います。


しかしそれがどれだけ都合のいい"逃げ"の考え方なのか、ということに思い当たる人は少ないようです。

失敗ばかりが目に付くが・・・

連日の報道を眺めていると、"政治家・大企業の不祥事"や"政策がうまくいかないで国民が困っている"ようなものばかりが目につきますね。
今は大躍進の任天堂の不調時には、"東大生ばっか雇うからだろ"とか。
"高学歴はやっぱり自分のことしか考えないから駄目だ"とか"頭の固いやつにいい仕事はできない"といった意見もよく見られます。
確かに、失敗する=その仕事に能力が追い付いていないということは言えそうです。


ただし、その裏でたくさんの成功があることを認識していますか?


あなたが"当たり前"と思って疑問に思わないことのすべては誰かが作りあげた仕事の成果です。
あなたが今手にしているスマートフォンやパソコン、それらをつなぐインターネット、目の前を走る自動車やそれを走らせるための道路、律するための法律、万が一のことがあったときの保険、保険金が入る口座を管理する銀行、その銀行口座にコンビニでもアクセスできるようにしたシステム、それに生活インフラ。
誰かが世の中をよくしなければと思いながら作りあげたものです。
中には何十年もかけて世代が代わりながらもその開発に情熱を注ぎ、ようやく完成したものもあるでしょう。*1


勉強を続けてきた人が頭をひねり続けても難しいことを、勉強をしてこなかった人ができると思いますか?
任天堂が東大生を雇ったのは、それだけビジネスが難しい状況にあったからです。あなたが解決できるなら、ぜひそのアイデアをプレゼンしに行って内定を勝ち取ってください(今はいらないでしょうけど)。


自分が挑戦しもしないくせに人のことをとやかくいうのはやめろ。臆病者め。
せめて土俵に立ってから言え。観客席から座布団を投げるだけのやつは引っ込んでろ。



そもそも大学は"勉強"しに行くところじゃない

たかが小学校から高校の勉強から逃げたような人はそもそもこの成功のきっかけすら作れるとは期待されてないんです。若い時分で一番自分の時間を持てる大学生活の中で勉強をしてないやつなんて論外です。
またここでいう大学での勉強とは、"学校で習うこと"ではありません。自分の目的や将来のために身に付けようとした知識、経験、教養のことをいいます。大学で一生懸命勉強しました!!と言っている人に限って授業の勉強しかしていません。評価されないのは当たり前です。
私が好きな小説家、曽野綾子さんの"太郎物語"の一節に、以下のようなものがあります。

大学なんぞ、何も教えちゃくれんぞ、と父はよく言った。父の同僚の岡田さんという酔っ払うと<<おい、太郎。大学つうものはだな、教師よりできなくて当り前と思うな。教師より、できる学生でなきゃ、本当は大学へ行く意味ないんだぞ>>と無茶苦茶なことを言った。ということは、大学は、物を教わりに行くところと言うより、最低四年間、学問に専念するという「執行猶予期間」を保証されるところ、と考えていいのだろう。とすれば、大学はどこでも同じなのだ。


大学は習いにいくところではなく、 物の見方や考え方、物事への取り組み方、世間への発表の仕方を周囲(教授や講師、優秀な先輩同期後輩)から強奪しにいくところです。太郎の言うように、本来は大学はどこでも同じはずなのです。いつの間にか、学歴による差別なる物ができてしまった。


極論と言われるのを覚悟で書きますが、ゼミにも所属せず、卒論も出さずに卒業した学生は大学生ではなく研究生もしくは単位認定生と名乗るべきだと思います。
授業だけで卒業して何の意味があるんでしょうか。4年間座学を受けてレポートと試験だけの生活で忙しいとわめきながら今度は大学卒業したのに就職がないと嘆くわけですか。


甘えんなよ。





勉強は社会に出てからのほうがキツい

"知"というものがある程度構造化された現代においては、様々な分野の境界で新しい分野が勃興し、またその深化のスピードが激しいため、常に勉強を続ける必要があります(一部のヒトにとっては今も昔もそうでしょう)。おそらくですが、その傾向は昔よりも強く、これからはさらに強くなっていくと考えられます。


商社や銀行、マーケティング部門や営業部門のようなかつては文系の花形ともいえた業界に理系の研究畑出身の学生が入るようになったのも、単純な"売る・買う"だけでは利益を生み出せなくなるほど、取引先の技術が複雑化し、基礎を社会人になってから勉強するのでは間に合わないという判断の元でしょう。
今まで勉強は避けてきたけど、ここに入れたらします!!なんて言葉はこの状況では受け入れがたいのです。


また、この点でいえば、学歴社会そのものをなくすというアイデアは、逆に日本の科学的発展および経済的発展を遅らせるということにもつながりかねません。
ので、この状況は変わらないでしょう。

高学歴=人柄がよくない?

よく、採用側からも学生からも"学歴で人間が決まる訳ではない。一番重要なのは、人間性だ"との声があがります。確かにそうだとは思います。
ではなぜ、採用されるのは高学歴の学生ばかりなんでしょう。
簡単です。


高学歴で人柄が良い学生がたくさんいるから。


確かに、高学歴の人の中には、自分の学歴の高さを鼻にかけて、学歴の低い人間に自慢する嫌なやつもいるでしょう。しかし、そんな人間はほんの一部です。あなたが出会った人は大学の中でも評判の悪い人なはずです。普通の人はそもそもそんな話をしません。自分の18歳の時点でのペーパーテストの出来があなたに認められないことよりも、あなたにやっかまれる方が数倍面倒なのですから。

一部の例を見て"きっと全員がそうなのだろう"と思ってしまうのは致し方のないことかもしれませんが、そのような思考は自分で自分に損をさせていることに気付きましょう。


逆に聞きますが、低学歴なら人柄が良いんですか?


それこそ疑問を呈される問題だと思います。
自分に都合のいい詭弁を振りかざすのは勝手ですが、その意見に閉じこもるのは危険です。
というか自分でも気づいてますよね。ただのやっかみだって。
黒星がすでについていることを認識しましょう。はっきりしているだけありがたいと思うべきです。


学歴に逃げるな。学歴に負けたらあなたは真の敗者になる。

*1:おそらくこういう話をするとエジソンは小学校も出てないとかいう輩が出てくるかと思いますが、あなたはエジソンじゃないだろ。 もしエジソンの生まれ変わりなら、遠隔送電装置を作ってください。以上。